<変化>で読み解く東京の魅力コラム(4)
東京の研究を進めているときに、「いま、目の前に立ち現れている東京の姿は、変わりゆくものである」という前提を忘れないように心がけています。
東京は静的な空間ではなくて、ダイナミックに変わりゆく動的な空間です。大規模な都市再開発によってスタイリッシュに姿を変えることもあれば、大規模な災害によって甚大なダメージを受けることもあります。
良くも悪くも、「東京は生きている」のです。
農村や漁村などの他の集合空間と比較すると、都市に特徴的なのは、人口と資本の集中です。先に述べた大規模な再開発が展開される機会が都市で目立つのは、人口と資本の集中が再開発のブースターとなるからです。日本で言えば、東京がその象徴です。2020年の東京五輪に向かう大規模な整備で、急ピッチでその姿をかえようとしています。
計画的かつ段階的に進行する東京の「変化」は、人びとの承認や合意の上に法的遵守事項に沿って創出されていきます。もちろん、歴史的建造物の立て壊しや、長年住んできた居住地区の立ち退きを経て着手される大規模な再開発は、すべての人が納得しているわけではありません。
とはいえ、目の前の空間が次第に変わりゆく過程を、いかに受け止めていくかという熟慮の時間的猶予は与えられるわけです。
それに対して、突如壊滅的なダメージを受けるような事態に直面する場合には、その猶予はありません。「変わりゆく」といった時間の流れを含み込んだ言葉では到底表現できないような熾烈な変貌に対峙しなければなりません。
私たちは、未だかつて直接的に経験していないような出来事を、自分事として想定することを得意とはしていません。それは一見すると、変わらない目の前の空間の日常性に安堵し、その空間が崩れることを想像する機会に意味を感じ取ることはできないからです。変わらない東京に包まれ、安心している私がいるのも確かな事実なのです。
そのようなときに、歴史は多くのことを教えてくれます。私たちは東日本大震災を経験しました。私たちの祖先は、1923年関東大震災、45年には東京大空襲によって熾烈な変貌に対峙してきました。
こうした東京の歴史が教えてくれることは、計画的・段階的でもない、心の準備を許さない、われわれの日常を根こそぎ壊滅させる空間の「変化」がいつ訪れてもおかしくはないというまぎれもない歴史的な事実です。
やや前提が長くなりましたが、目の前の空間が変わる。当たり前の日常が崩れたときのわれわれの行動について焦点をあてると、東京で働くことや生活することの意味を改めて考えることができます。
生命の危機を脅かすような熾烈な変貌とはいかないまでも、変わらない空間が突如機能停止する事態をわたしたちは経験しています。
その一つが、2011年3月11日に発生した東日本大震災のときに発生した「帰宅困難者」という問題です。このときは、東京都で352万人、首都圏では515万人が帰宅できなかったという報告もされています。
また、参考までモバイル人口動態という分析では、新宿区を徒歩で通過する帰宅難民が381万人にも及ぶという数字が弾き出されています。対照的に新宿区民で帰宅難民となるのは、4千人です。
先日も歴史的な降雪によって、鉄道や交通インフラが麻痺し、自宅までたどり着けない「帰宅難民」が数万人規模ででました。
変わらない当たり前の空間で支えられている私たちの東京での日々は、他の集住地区とは比較にならないほどの人口集中によって構成されており、いつ何時、「大混乱」を起こすかもしれない脆弱性の上で成り立つ日々であることも片時も忘れてはならないのです。
そして目の前の日常が突如破壊されることもありうるのだとしたら、郊外地区から東京へと通勤に来る「職住分離」の勤務形態モデルを可能な限り見直すべき時期に来ているのではないかという思いが膨らんでくるのです。
東京に通勤する人びとの平均通勤時間は43.8分だと言われています。
(下記図表 すべて引用元:http://statresearch.jp/house/rent/commute_pref.html?pref=13)
この通勤時間を持ち家と借家で比較する(図2・図3)と、持ち家層が顕著に通勤時間が長くなっているのです。
この通勤時間の違いは、複雑な分析を必要としません。地価の安いエリアで家を購入するか、地価の高いエリアで時間を購入するかの、選択の違いが反映されているにすぎません。こうした選択が集合的に空間を形成し、人びとの生活の構造を生み出していくのです。
この「職住分離」がもたらす長時間通勤は、先にみた脆弱性を抱える都市インフラの機能停止の影響を直接的に受けることになります。こうした事態がしばしば起きるのであるならば、地価の高いエリアでの借家という選択は、時間を購入するという経済合理的な判断のみならず、脆弱な都市インフラへのセーフティネットとして生活リスクを軽減する意味をも持っていると改めて認識されるべきなのです。
絶えず変化を続ける東京を活かすのは、当たり前の日常を脅かす脆弱性を兼ね備えた大都市東京の構造特性を十分に理解した上で、目の前の空間を捉え・捉え返していく私たちの想像力だと言えるでしょう。
田中 研之輔氏(社会学者)
1976年生まれ。法政大学教授 博士(社会学)。一橋大学大学院修了。日本学術振興会特別研究員(DC/PD:一橋大学 SPD:東京大学)。メルボルン大学、カリフォルニア大学バークレー校で客員研究員を歴任。
<変化>に着目した「空間-行動」分析を得意として、<東京>の魅力分析を続けている。著作には、『都市のリアル』『丼家の経営』『都市に刻む軌跡』『走らないトヨタ』『先生は教えてくれない大学のトリセツ』『覚醒せよ、わが身体』他。セミナーや講演会数も多数。個人でも投資を行い、企業顧問もつとめる。株式会社ゲイト社外顧問。